“伝説のギタリスト西村智彦”の全貌 – SING LIKE TALKING支えた男
SING LIKE TALKINGのギタリストとして、日本のクロスオーバー音楽シーンを牽引し続けた西村智彦(1964‑2025)。武蔵野音楽学院出身の技巧派ギタリストであり、ソロ作品や他アーティストへの楽曲提供・プロデュースでも高い評価を得た。2025年6月5日、61歳で逝去。彼の生涯と功績、そしてその音楽的足跡を余すところなく振り返る。
西村智彦の生い立ちと音楽の出会い
西村智彦は、1964年1月25日に青森県で生まれました。武蔵野音楽学院にてギターを学び、そこで高度な演奏技術と音楽理論を習得しました。1985年には、佐藤竹善さんや藤田千章さんと共に「514バンド」(後にSING LIKE TALKINGとして知られる)を結成し、学生時代に培った音楽的基盤がその後の洗練されたギターワークの礎となりました。
SING LIKE TALKINGの結成とデビューの道
1986年、西村さんはバンドが「ヤングジャンプ・サウンド・コンテスト ’86」でグランプリを受賞した際に参加しました。1988年にはシングル『Dancin’ With Your Lies』でメジャーデビューを果たし、記念すべき初ライブにはTOTOのジェフ・ポーカロさんやネイザン・イーストさんが共演し、大きな話題を呼びました。
バンド活動と数々のヒット曲
1990年代には、AOR、ソウル、フュージョンなど多彩な音楽スタイルを取り入れたサウンドが特徴的でした。『ENCOUNTER』(1993年)、『togetherness』(1994年)はオリコン初登場1位を獲得し、1996年には武道館での成功を収めました。西村さんのギタープレイは、バンドサウンドにおいて欠かせない要素として高く評価されました。
ソロ活動とプロデュースの軌跡
1992年には初のソロシングル「That’s Life」をリリースし、その後もソロアルバム『Graffiti』や『WONDERLAND』(2015年)、『combine』(2020年)などを発表しました。また、甲斐よしひろさんや尾崎亜美さん、柴田淳さん、TOKIOの楽曲提供やアレンジ、プロデュースも手掛け、幅広い音楽ジャンルでその才能を発揮しました。
35周年を迎えた復活と音楽への情熱
2021年、病を公表した西村さんは、35周年記念ライブに参加し続けました。病状の悪化にもかかわらず、「もう一度バンドに立ちたい」という強い意志を持って活動を続け、2025年6月5日、61歳で永眠しました。仲間やファンに惜しまれながら、彼の生涯は幕を閉じました。
人柄と遺産
共演者たちからは「音も人間も最高でした」という追悼の声が多く寄せられています。ドラマーの小柳昌法さんは「61歳…早すぎだよ!」とコメントし、ファンからも「カッティングの気持ちよさ最高」「芳醇なグルーブを軽やかに彩っていた」と、その人柄と音楽性が絶賛されています。
主なディスコグラフィー
**SING LIKE TALKING参加作**
* Dancin’ With Your Lies(1988年)
* ENCOUNTER(1993年)
* togetherness(1994年)
* Welcome To Another World(1997年)
* METABOLISM(2001年)など多数
**ソロ作品**
* That’s Life(1992年, シングル)
* Graffiti(ソロアルバム)
* WONDERLAND(2015年)
* combine(2020年)
また、青森出身アーティストとの共作やプロデュース・アレンジ作品も多数手がけています。
まとめ
西村智彦は、名実ともにクロスオーバー音楽シーンを支えたギタリストであり、ソロ活動や制作面でも非凡な才能を発揮したアーティストでした。2025年6月5日に亡くなりましたが、彼が残した煌めくギターフレーズや音楽への真摯な姿勢は、今なお多くのリスナーやミュージシャンに影響を与え続けています。その魂は、音楽の中で永遠に輝き続けることでしょう。
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